「次代に向けて」五味太郎さんとの対談

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絵本作家 五味太郎 × 代表取締役会長 武田修一

「元祖きびだんご」桃太郎ワールドの独自性

武田修一

武田会長(以下、武田) 僕の理想ですが「きびだんご」は岡山のおみやげだけじゃなく、『桃太郎』の「きびだんご」だということを日本中の子供たちに知ってもらいたいんです。例えば、お米やみそ汁を食べて日本人になるように『桃太郎』や『かぐや姫』といった日本の童話を読んで子供は日本人として育つのではないでしょうか。そう考えて、日本の代表的絵本作家の方々の作品を多数、拝見しました。五味先生の絵を見た時、なんと言うか、ある種の震えのようなものを覚えて、『桃太郎』をお任せできるのは五味先生以外にないと確信しました。

五味太郎

五味太郎氏(以下、五味) でも、僕は既成のお話しに沿ってイラストレーションを描くことをあまり得意としていなくて、はっきり言うならば、話を作るのが面白いわけで、『桃太郎』を僕がイラストレーションするっていうと、冒険としては面白いんだろうけども・・・。だから、武田さんと面識のないころ、間接的に話があって無下に断わったはず(笑)。たまたま、違うルートで少し具体的に話を聞くことがあって、それなら絵を描くのと同じように、パッケージデザインみたいな形での提供はできるなあ、って提案したときに話がまとまったんだよね。でも、実は『桃太郎』に関するオリジナルの野望はあるんですよ。あのパッケージの絵の中で・・・、ご覧になった方にはお分かりいただけるでしょうが。「桃太郎」のストーリーは、ある意味でひとつの完成品だから、あれはあれで大事にしておいて、僕の中で考える『桃太郎』は、一種の永遠性とか、普遍性を持ってて、そのキャラクターを少しパラレルに並べると、まったくその世界では僕は自由なわけ。そこに金太郎がいてもいい、ロボットみたいなのがいてもいい。桃太郎の持ってる世界を僕が見ると、ああいう風景のパワーがどっかにあるんだろうな。「きびだんご」をロマンチックに考えて、僕が思う「桃太郎ワールド」を描きたかったんです。

武田 先生の絵には自分で動く力が備わっていますよね。桃太郎、犬、猿、きじ・・・、いろんなキャラクターがあるでしょ。先生の手にかかると動き出してしまう。もう止まらない。でも、これでいいんでしょうね。『桃太郎』も長い歴史を持つ話で、時代ごとに変化してきましたが、やっと、自由にのびのびと動き出したようです。『桃太郎』によって『桃太郎』が動き出したということは、たぶん初めてじゃないでしょうか。これは、すごいことが起こってしまったと実は思っています。だって、お菓子のパッケージにファンレターがいっぱい届くんだから。うちのお菓子では初めてのことです。先生にお願いした我々も驚いています。

未来を担う子供のためにいま、大人ができること

子供たち
子供の柔軟な心は本物に出会い、喜んだり、活発に動くことで自分の核を形成していきます。「精神には運動が必要なんだよ」と五味太郎氏。

五味 子供のお菓子の包みなんて、さりげなく見て捨てるもんでいい。ところが、そういった細かいところを、ちょっと整えてみる。ちょっとしたセンス、ちょっとした読み易さ、ちょっとした美しさ。この神経の遣い方って、大人が面倒臭くなったら負けだと思う。子供の周辺にさりげなくあるものに、本当のデザインという点で神経を遣わなきゃいけないんだよ。例えば公共の建物や役場の書類、電車の切符、そういうもののデザインがヨーロッパではかなりきちっとしている。そう思って日本を見回してみると実にいい加減だね。小学校の建物のように子供が毎日通っている空間のデザインや設計なんて、本当はものすごく丁寧にやらなくちゃいけないのに。お金の問題じゃない、意識の問題。学校の通信簿のデザインだって僕は、すっごい気になってる。ところが、この仕事を僕に回してくれないんだよ。この世でたった一校、山梨県のある小学校に僕のイラストが入ってる通信簿が存在してる。それは、さっぱりしてて、折り方もシンプルなんだけど、要するに、ちょっとイラストレーションが入ってるだけで身近に感じられる、気持ちいい感じになる。理屈で言うと神経質に思われるだろうけどね。フランスの教科書と日本の教科書を比べてみても、かっこいいとか悪いの問題以前に、神経の遣い方が違う。高速道路の標識にしても、美術館の案内板ひとつにしても、何か違うんだよ。日本も最近少しずつよくなってきてるけれども、子供の周辺まで細かく神経が遣えるようになるのに、まだ50年、100年はかかるなあ、と思ってる。こんな状態だからこそ、子供たちのお菓子なんて勝負なんだよ。何でもそうなんだけど、廣榮堂さんは僕にチャンスをくれたからね。「きびだんご」1個1個の包み紙まで色をつけてくれる、ああいう楽しさとか、細かい神経ね。それから意外と力を入れた、中に折って入れた「しおり」。別に、そんなにお金がかかってるわけじゃない。ただ、いろんなことを細かく細かくやる人がいっぱい増えてくる方が、なんかいいだろうなって単純に思ってて、僕のできる範囲で精一杯のことをやろうと思ってるだけの話。

武田 モノを作る側として我々も、名水の湧く泉から水を汲んでくるとか、化学肥料を使った原料を使わないとか、そういうことをもう20年もやってきたわけです。細かく細かく神経を遣って。そこら辺が、うまく合ったのかな。廣榮堂の仕事は次の世代を担ってくれる、いい日本人を育てる手助けをすることだと自負しています。これからの世代には、世界のどこを歩いても「日本から来たのか、よく来たな」と言われるような人間が育って欲しいんですよ。楽しい人が。僕は五味太郎先生の仕事を拝見していると、こんなに心が豊かで思いやりにあふれる作品に子供のころから親しんでいれば、きっと好かれる日本人に育つに違いないと希望を抱いているんです。お菓子のことを通じて、そうなって欲しいというのが僕の願いでもあります。先生に出会えて幸運です。

作り手と買い手は対等 50/50の関係がいい商品を作る

五味太郎

五味 いろんな意味でいま、過渡期なんだと思うのね。いまが悪いっていうんじゃなくて、少し丁寧に物事を見ていったり、感じる次の世代への。子供にとっておとぎ話がおもしろいのは、おとぎ話そのものに価値があるんじゃなくて、おとぎ話をしてるときに、いろんな自由な考えが出る、その考え方、その頭の動きがいいわけ。気持ちの動きが楽しいわけよ。ひとつのモノを見て、いろんなことを思い巡らせる楽しさを子供のころに経験しなくちゃ。

武田 これから我々がやらなければならないことは、そういう楽しくて明るくて、それでちょっぴり厳しいモノを作っていくことでしょうね。

五味 モノを作る仕事って、僕は頑張って、頑張って精一杯やって50%、あとの50%は向こうの仕事だと思ってる。これは食べ物でも同じで、作ってる武田さんが、いくら頑張っても50%しかできない。お客さんが食べるんだもん。作ってる人が食べるんじゃないんだから。客でも、読者でも、消費者でもいい。作り手が精一杯やって50%、買い手の側が精一杯買って50%。このルールがいいなと思う。それが子供たち相手じゃ成り立たない、と言われる。子供たちが絵本を確実に50%読むんだよってことに、僕、昔から自信があったの。普通の出版人は自信がないから80から90ぐらいまで頑張ってやって、子供に10%ぐらいしか能力がないと思ってた。

武田 与え過ぎなんでしょうね。

五味 やさしい言葉を遣って、こわい話はやめて、骨抜きになって絵本が出版されていくとき、僕は「このままで大丈夫だよ、絶対」って主張していた。理論じゃないんだけど。いま考えてみると僕が一番、絵本に教えてもらったことは「子供たちってすごい!」ってこと。要するに、子供の能力を信じられるか、客の能力を信じられるかってこと。「客はみんなレベルが低くて選べない、好みもはっきりしてない」といい加減にモノを作っていくのと、「絶対、この良さを分かってくれる」と相手を信頼して作るのと、どっちがいいモノができるか。ジャンルは全然違うけども、同じことが言えますよね。

武田 商品開発という点において、非常に大事な観点ですよね。お客を見下して、お高くとまって、この良さが分からない客は駄目だというお菓子や、反対にお客に媚びる一方のお菓子がある。どっちも正しくない。

五味 まったく、一緒ですよね。

五味太郎
『大人問題』巻末の「どうなっても知らんぞ!」は、精一杯頑張った作り手の心からのひと言。作り手も消費者も、みんなで考える問題なんです。

武田 消費者の主権ですからね。何を食べようが、何をおいしいと感じようが。供給する人間は謙虚でいることですよ。我々、世界は違うけど、モノを作っていく人間として、これから議論するべき問題だと思います。だから、ひっくるめて理解しようとすると、先生が『大人問題』で書かれた「どうなっても知らんぞ」という言葉なんです。自分は誠意を尽くして一生懸命やった、共に生きよう、そういうことですよね。

五味 どっかに潔さがいるよね。

変わるもの 変わらないもの

五味 少し難しく言うと、おとぎ話の同時代性を図ること。おとぎ話って語り継がれるときに、その時代化するんだよね。時代背景や歴史的な事件とか、外国の文化が入ってきたり、いろんな要素がミックスされている。だから、我々の桃太郎は旅に出るときに、犬、猿、きじ、これをアレンジメントしていい。それはまったく、ルール違反じゃない。いま人気者はパンダだから、パンダ入れよう。あるいは、ロボット入れよう。『桃太郎』は自由にアレンジメントされながら、でも永遠なんだ。僕は古典主義者じゃないから、古いものを守っていくより、古いものを生かしながらアレンジメントして次の世代に送るという、この方が落ち着くね。

武田 僕は老舗の菓子屋の代表者だし、古い文化を伝える責任があるわけですよね。

五味 まあね、うん。

武田 だから、表面的には変わるように見えても、本質的に変わらないものを大切にしています。「きびだんご」という文化を伝えていかなければならない。でも、先生の作品を拝見していつも思うんですが、人間も生き物の一部であり、動物も植物も一緒に生きているんですよね。厳しいですよ、自然は。決して優しくはない。そのことも含めて、生き物として地球の上で生きていくということを真剣に考えるとね。

五味 生き残るためにはみんな止まれない。止まりたい気持ちもあるんだよ。「名作」という形で止めちゃう。「名作」って言われてると安心できるから。ひとつの名前とか。それはある意味で、さぼってられるんだよ。でも、安心って実のところ死んでるって状態でしょ。つまり、子供たちには向いてないんだよな。生物的に細胞がガチャガチャしてる子供たちはいつも、安心じゃないんだ。彼等はさぼり症じゃないわけ。大人が疲れてさぼり症になっちゃってるだけ。その大人と子供のギャップを埋めてるのが、どうも僕のポジションで、だから僕の絵本を見てガチャガチャやってる方が子供たちは楽なんだよ。みんな快く動きたいんだよ。「名作」を「名作」として味わう方が辛いんだよ。「名作」かどうかは、子供たちが将来、自分の中で取捨選択できればいいわけじゃない。その能力を養う源におとぎ話があって、刺激を与えるんじゃないかな。

武田修一

武田 名前に安心していると滅んでしまう。子供たちに親しまれ、未来の地球でも生き続けるためには、生き生きとしている、進化し続けていることが条件なんでしょうね。だとしたら、我々は「未来からの贈り物」的な商品を作らないと生き残れなくなる。伝統のある古い物を守るということは、そういうことなんでしょうね。

すべての動きを創造する「未来からの贈り物」

五味 何かに反応したり、精神が運動していること。やっぱり何でもさぼってると駄目だね。

武田 芸術にしても、商品にしても、しっかりした基礎や古い伝統や、いろんなものにとらわれて後ろばかり向いていては駄目なんでしょうね。未来から見たときに新しい「未来からの贈り物」でないと。

五味 例えば織部焼なんて、とっても今風だよね。「同じ魚をのせるなら、これじゃつまんない、これだよね」っていう感じの作業は永遠につながっちゃうんだ。古田織部は決してさぼっていなかったんだと思う。松尾芭蕉も死ぬ間際までウロウロしてる。いつまでたってもさぼってないから面白い。結局、刺激を与えられるわけ。動きがあるっていうことが一番好きだな。動けば、何かが動く。僕たちの仕事は、そういう動機づけみたいなモノを提供することなんじゃないかな。

五味太郎、武田修一
1997年4月26日。東京・渋谷、五味太郎氏の仕事場にて。話題の尽きない2人の対談は1時間以上におよび、ここにはその一部を掲載いたしました。

武田 「きびだんご」も、おとぎ話の昔に始まって現在まで時代の変遷とともに、材料や製法、味付けにいろんな工夫が凝らされ、変化してきたわけです。常に動きがあって止まっていなかったから、ここまで愛されてきたんでしょう。ですから、我々は現在の「きびだんご」を大切にしながら一方で、いままでにない新感覚の「きびだんご」をどんどん発表していきましょう。ここからまた、新しい動きが始まるんです。

五味太郎 五味太郎(ごみたろう)
絵本作家、昭和20年8月20日 東京生、ボローニャ国際絵本原画展入賞、「さる るるる」など創作絵本多数、エッセー集の執筆をはじめ作詞家としても活躍、平成5年から元祖きびだんごのパッケージイラストを制作
武田修一 武田修一(たけだしゅういち)
株式会社廣榮堂 代表取締役会長、昭和6年7月19日 岡山生、昭和46年3月、株式会社廣榮堂 代表取締役社長就任、岡山県経済同友会顧問、岡山県菓子工業組合 理事等

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