むかし吉備団子への熱い思い

商品のご案内

特別栽培によるもち米づくり

味と安全性の向上に本格的に着手

JA岡山市高松支所と農家の方々
素晴らしいもち米が収穫できました。このひと粒ひと粒に廣榮堂とJA岡山高松支所の農家の方々の熱い思いが込められています。

 昭和47年3月に山陽新幹線(新大阪〜岡山)が開通し、観光ブームに乗って岡山銘菓として「きびだんご」は急激に売上を伸ばし、製造メーカーも20社近くに増えました。しかし、一部の粗製乱造のため次第に品質低下が指摘され問題となってきました。高度経済成長の絶頂期を迎え、日本の産業すべてが合理化され、農業も効率と生産性向上を最優先に突き進んでいた時代です。昭和49年10月から昭和50年6月まで朝日新聞に掲載された有吉佐和子の小説「複合汚染」は、日本の農業に対する警鐘を鳴らすものでした。徐々にではありますが、化学肥料や農薬が人体に及ぼす悪影響が呟かれ始めた時代でもあります。
 すでに昭和47年に直営の農園を開園し、廣榮堂は無農薬栽培による原料の入手に取り組みを始めていました。昭和51年には「政所もち」の産地として知られていた岡山市高松農協(現JA岡山高松支所)とタイアップし、特別栽培によるもち米づくりを農家に委託し、全生産量を買い取り、味と安全性の向上に本格的に着手しました。この無農薬栽培によるもち米を使って昭和52年、「むかし吉備団子」を発売。材料だけでなくパッケージも秋田杉の木箱を使用、本物にこだわりました。
 以来30年、手間がかかるうえに、収穫量は通常の60%程度と、この手探り状態の無農薬栽培にJA岡山市高松支所と農家の方々には多大なご尽力をいただき、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
※お断り 本文中に「有機無農薬栽培」・「有機農法」の記述がある場合がございますが、これにつきましては、歴史的経緯として昭和47年〜昭和52年当時のまま記載させていただきました。尚、現在(平成20年)の表記としては「特別栽培」または「減農薬栽培」となります。

小野純一
農業士 小野純一
(JA岡山高松支所)
廣榮堂さんと無農薬栽培のもち米をつくり始めて30年経ちました。150年の5分の1の時間を一緒に過ごして来たのです。当初は苦労の連続でした。しかし、全量を買い取るという会長への信頼感と、いいものをつくりたいという心があればこそ続けることができたのです。農業も製造業も同じです。いいものをつくりたい、お客様に届けなければ生き残ることはできません。最後は人なのです。経験と勘と感性が必要です。今日までこのような経験をさせていただいたことへの感謝と、さらなる精進を共に続けていきたいですね。

元祖きびだんご  むかし吉備団子  懐かしの黍団子  きびだんごとむらすずめ

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