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桃太郎伝説

桃太郎伝説

絵巻下

『温羅退治(うらたいじ)』

岡山は『桃太郎伝説』発祥の地。そして「きびだんご」もこの地で連綿と作り継がれてきました。その最たる由縁は『吉備津神社社記』に記された、孝霊天皇の皇子・吉備津彦命による『温羅退治(うらたいじ)』。当時、鬼と恐れられた百済の王子・温羅(うら)は備中国新山(現在の総社市)に居城「鬼ノ城」を構え、船を襲うなど、吉備国(岡山)で暴れ回っていました。人々がその乱暴ぶりを朝廷に訴えたところ、吉備津彦命が大軍とともに派遣され、見事、鬼を征伐。その鬼と戦っている最中、老漁夫が命に「きびだんご」を献上し、それを命は大変喜んで食べたとあります。

また岡山が古くから黍の産地であったことも『桃太郎話』発祥の地と称される理由です。当社は安政3年より「きびだんご」を通じて岡山の風土と『桃太郎話』に深くかかわって参りました。これから先もおいしい「きびだんご」と『桃太郎話』がともに、日本中の子供たちに愛されることを願っています。

絵巻下

桃太郎絵巻

徳川12代将軍家慶幼少の頃に遊び道具として絵師が描いたものを、安政6年(1859年)に模写したものと伝えられている。

吉備国のロマン - 温羅伝説

実は岡山には二つの温羅伝説がある

桃太郎の鬼退治で知られる「桃太郎伝説」、このお伽噺のベースになっているのは「温羅伝説」といわれています。桃太郎が吉備津彦命で、鬼は温羅。吉備津彦命は悪事を重ねる温羅から吉備の国を守った英雄として描かれています。実は岡山には二つの温羅伝説があるのです。

そのひとつ吉備津神社に伝わる『吉備津宮縁起』によれば、崇神天皇の頃、異国の鬼神が飛行して吉備の国にやってきた。彼は百済の王子で名を温羅ともいい、吉備冠者とも呼ばれた。身長は一丈四尺(四・二メートル)。両眼は爛々と虎や狼のように輝き、ぼうぼうと伸ばした髪や髭は燃えるような赤。「鬼ノ城」に拠り、数々の悪事を働いて民を苦しめていました。たまりかねた人々は大和朝廷に温羅退治を申し出、さっそく武将が送り込まれましたが、温羅は神出鬼没にして変幻自在。武将はことごとく敗れ去ります。

そこで白羽の矢が立てられたのが武勇の聞こえ高い五十狭芹彦命、後の吉備津彦命でした。いよいよ温羅との戦いが始まりますが、戦う激しさは雷のごとく、その勢いすさまじく、さすがの命も攻めあぐねた。不思議なのは、命が射た矢はいつも温羅の投じた岩と噛み合っては落ち(矢喰神社)、なかなか勝負がつきません。そこで命が一度に二本の矢を放つと、一矢が見事に温羅の左目に命中。流れ出る血潮は川のように流れでました(血吸川)。さすがの温羅も戦うのを止め、雉に化けて山中に隠れますが、命は鷹となって追います。追い詰められた温羅は鯉に化けて血吸川に姿をくらませます。しかし命は鵜となって喰らいつき(鯉喰神社)、とうとう温羅は命の軍門に降り自分の「吉備冠者」の名を命に献上しました。これにより命は吉備津彦命と改称されこの地を統治するようになりました。

温羅の首ははねられ串刺しにして、首村(岡山市楢津首部)に曝されました。ところが何年経っても唸り声が止まりません。吉備津神社の御釜殿の竈の下に埋めましたが、なお十三年の間唸りは止まらず、近里に鳴り響きます。ある夜、命の夢枕に温羅が立ち、「わが妻、阿曾媛に釜殿の神饌を炊かしめよ。もしこの世に事あれば竈の前に参り給え、幸あれば豊かに鳴り、禍あれば荒々しく鳴ろう」と告げたのです。占いは鳴釜神事として今に伝えられています。

写真右)鳴釜神事

写真右)鳴釜神事

吉備津神社

豪壮優美な比翼入母屋造りが映える神社建築の傑作。本殿と拝殿はともに国宝になっているほか、総延長約400mの回廊も壮観。御釜殿では、釜の鳴る音で吉凶を占う「鳴釜神事」が行われています。本殿から南の本宮社や御釜殿を繋ぐ、398mに及ぶ長い回廊。土地の傾斜に沿って、屋根も流れるような勾配を描いています。釜の鳴る音で吉凶を占います。この様子は江戸時代の国学者上田秋成の「雨月物語」にも「吉備津の釜」として登場します。

もうひとつの温羅伝説

もうひとつの温羅伝説、吉備津彦神社に伝わる『吉備津彦神社縁起』によると、ある日のこと、朝鮮半島から大陸の王子といわれる身長二メートルを超える大男とその大勢の仲間が吉備の中山にたどり着いた。この大男は温羅と呼ばれ、顔に髭を生やし、言葉が通じず、よく怒るので、人々は恐れいつの間にか鬼と呼ばれるようになった。

ある時、大和の国の王に貢物を運ぶ人が通りかかり、温羅とその仲間が貢物の行き先を聞いたところ、怖い鬼に襲われたと思い、一目散に逃げ帰った。そこで、大和朝廷と温羅の戦いが始まるのです。吉備津彦は桃太郎伝説の「犬」のモデルとされる犬飼武、「雉」とされる留玉姫、「猿」とされる楽々森彦などの家来をつれて、吉備の中山に陣を張りました。吉備津彦と温羅の激しい戦の内容は同じです。

ついに温羅はもうこれまでと観念し、吉備津彦にひざまずき「どうか命だけは助けてください。あなたの家来になって吉備の国を良い国にしてみせます。私が作った宝物の鉄器の道具なども差し上げます」とお願いしました。吉備津彦は温羅の願いを聞き入れ、家来にして吉備の国を治めました。

その後、大阪や出雲の国の反乱を鎮圧。その功績によって、吉備の国に宮殿を造り、吉備大明神として吉備中山御陵にお祀りされるようになりました。一方温羅は、吉備津彦によく尽くし、武力に秀で、志も立派だったので、吉備の中山にある小丸山に艮御崎神社として祀られています。この縁起では鬼を殺していないことが、吉備津宮縁起と違っているところが大きな特徴です。

  1. 吉備津彦神社
  2. 吉備津彦神社

    吉備津神社と同じ「桃太郎」のモデルになったといわれる吉備津彦命が祀られている神社。備前の国の一宮として、多くの人々の信仰を集めています。

十三年続いた温羅の唸り声は・・・

このように温羅伝説は二つ存在しています。温羅は本当に民を苦しめる鬼神だったのか。温羅は造船技術や製鉄技術を百済から伝え、吉備王国を繁栄に導き、民衆から「吉備冠者」と呼ばれて親しまれた人物で、吉備津彦命は国内統一を図る大和朝廷から派遣された侵略者だという見方もあります。十三年続いた温羅の唸り声は、実は温羅を慕う吉備の民衆の怨念だったとか・・・。

吉備と呼ばれた地域には、鬼ノ城と呼ばれる朝鮮式の山城の石積が存在し、現在も調査が続けられています。矢喰神社があり、血吸川が流れ、鯉喰神社が現存します。この鬼退治の伝説に関係する遺跡や神社が数多く残されています。「桃太郎」に秘められた温羅伝説は、古代史を彩るロマンといえるでしょう。

写真右)4つある鬼ノ城の城門の内、復元された西門

鬼ノ城

鬼城山に築かれた広大な古代山城跡。城壁に沿って遊歩道が整備され、百済の王子・温羅が住んでいたといわれる遺跡や、吉備ののどかな平野が一望できます。

  1. 矢喰神社
  2. 矢喰神社

    温羅と吉備津彦命が戦った際に、温羅が投げた岩が吉備津彦命が射た矢とぶつかり、落ちた場所という言い伝えが残る神社。境内には大小4つの矢喰岩があります。

写真右)血吸川

鯉喰神社

温羅と呼ばれた鬼と吉備津彦命が戦った際に、傷を負った温羅が鯉に化けて血吸川に逃げ込み、鵜に姿を変えた吉備津彦命が追跡。鵜が鯉を捕まえたとされる場所がここです。

参考文献

  • ■「桃太郎は今も元気だ」おかやま桃太郎研究会編 吉備人出版
  • ■「吉備の古代史」門脇禎二 NHKブックス
  • ■「吉備のものがたり(上)」市川俊介 岡山文庫
  • ■「おかやまの桃太郎」市川俊介 岡山文庫
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